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 目 次 <2002年>

 『心に灯ともす教育を』子どもの参加を促そう
 
『河北新報社』平成14年(2002年)6月23日

「凡庸な教師は、ただしゃべる。少しましな教師は、理解させようと努める。優れた教師は、自らやってみせる。本当に優れた教師は、心に火を付ける」。これは英国の教育学者、ウィリアム・アーサー・ワード氏の言葉である。

「ファシリテーター」という言葉をご存知だろうか。子どもの持つ潜在的な才能を引き出し、その子どもがさまざまな分野に参画していけるように促す人−の意味として各方面で使われているが、最近、新たな教育者の在り方として注目を浴びてきている。

今、学校教育についてさまざまな議論が交わされている。

管理型・画一型教育が子どもに知識の詰め込みを強要し、彼らを縛りつけている。子どもたちはそうした環境の中で個性を殺され、それが登校拒否や校内暴力という形になって表れている。だから子どもたちにもっと自由を与え、個性を伸ばしていくべきだ−というのが第一の認識。

逆に、子どもの人権の名の下に、個性重視、人権尊重を訴え、子どもに自由を与えすぎてしまったという意見もある。そのため子どもたちは、本能や欲求のおもむくままで、学校は荒れ放題になっている。むしろ、尊厳をもって子どもに対し、道徳や倫理をしっかり教え込むべきではないか−というのが第二の認識。

かくしてこの二極対立の意見は、多くの教育論議の場に上るわけである。

しかし前出の「参画」とは、一人ひとりが自由であると同時に、個人の行動に関しても、パブリック(公的)な行動についても責任を持ち、自分の最も自分らしい部分を実現する過程のことをいう。したがって、この子どもの参画を促すファシリテーターは、両極にある認識のどちらでもない第三の選択肢なのである。

最近は日本中で、地域の子どもたちがワークショップなどで議論を重ね、まちづくりや施設づくりに参画するといった話をよく聞くようになった。しかし日本には、昔から子どもが参画して街を変えた事例が存在するのである。

長野県飯田市は、大火で市街地がすべて灰と化した歴史を持っている。一九四七年のことである。復興計画は、米軍の指導で格子状の街並み区画整理が実施され、そこに幅員三十の都市計画道路が建設された。

現在、同市はリンゴ並木の素晴らしい景観に変わっているが、そのきっかけとなったのが、子どもたちのまちづくりへの参画だった。

地元の子どもたちが、区画整理された街に「リンゴの木を植えよう」と提案したのは、復興計画がスタートしてから五年後のことだった。しかし、その実現には、紆余(うよ)曲折があった。

市役所へ掛け合っても、維持管理の大変な実のなる樹木を公共の場に植えることはできない−といった抵抗に遭う。さらに当時は戦後の食糧不足の時代であったため、「リンゴの木を植えても、すぐに実を盗まれるのが落ちだ」とも言われた。

しかし、子どもたちはそれにもめげず、リンゴ並木計画の基本的な考え方を練り直して市役所との交渉に臨み、「『リンゴを盗まれて困る』と言うが、盗む気など起こさないような美しい心を持つ人々の住む街こそが、本当の美しい街ではないか」と訴え、結局その熱意が市を動かした。

こんなエピソードを聞くと、こうした意識を持つ子どもたちが偶然、飯田市に存在していたと思われがちだが、実は子どもたちの心に火をつけたファシリテーターとしての存在が、大きな要因だったのだ。ファシリテーターとは、どうあるべきか、どのようにしたらなれるのか、これこそが今後の教育における最重要課題であろう。

最後にもう一つ。ファシリテーターとは、ある特定の才能を持つ人だけがなるのものではなく、すべての人が誰かのファシリテーターになり得るということを付言しておきたい。

あなたは誰かの心の火を消してはいませんか?

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 『特区という地域戦略』独自性確立への端緒に
 
『河北新報社』平成14年(2002年)5月24日

「いかに地域ぐるみで本気で取り組む志があるかが決め手になります」

これは先日、小泉純一郎首相が議長を務める内閣府の「経済財政諮問会議」公式ヒアリングの席上、私が「特区」が認められる条件について尋ねた際、同会議議員である吉川洋東大経済学部教授が答えたものだ。

現在、国では自治体主導の活性化策として、特定地域に限った規制緩和や優遇税制などを行う「構造改革特区」を検討中だ。これを受けて全国の少なからぬ自治体では、この「特区」の指定を受けようと準備を始めている。

例えば北海道ではポストゲノム研究とその技術の産業化を促進させるために、大学教員の企業役員兼業に関する規制緩和や外国人のバイオ研究者のビザ発給要件の緩和などを行う「バイオ研究特区」、さらに農業生産法人の参入要件の緩和や農地転用規制を緩和して農業の活性化を図る「農企業創生特区」を創設する構想を打ち出している。

青森県でも、五月に構造改革特区の構想をとりまとめるための検討委員会がスタートした。六月中にも内容を固める方針だが、その目玉はやはり「エネルギー特区」であろう。

国レベルでもエネルギーの全面的な小売自由化の方針は固まってきているが、肝心の送・配電網の分離・開放については先送りとなった。エネルギービジネスで新たに創出されるマーケットは数十兆円ともいわれているが、この送・配電部分の規制緩和がないと、エネルギービジネスも絵に描いたもちになりかねない。

そこで青森県では、国に先駆けて送・配電網の分離と開放を実施し、誰もがその送・配電網を利用してビジネスを展開できるようにする。これによって例えば、コミュニティー内で電気が融通できるようになれば、世界中のエネルギービジネスを展開しようとしている企業が、この地に進出してくるだろう。

しかし、特区を設ける意義は、ある地域を特別扱いするということではない。ある地域が日本や世界に貢献するために、改革のフロンティアとしての志を抱いてリスクを負い、先駆的な実証試験の場を提供するということなのだ。しかも一部行政担当者だけでなく、地域住民の同意も併せて求められている。これが、冒頭の吉川教授の発言につながっているのである。

国が挙げている特区の構想例には「IT(情報技術)関連産業集積特区」「港湾のリサイクル産業を中心とする産業再生特区」「自然ふれあい体験特区」などがある。各地域、各自治体で住民もしっかりと参加して知恵を出し合い、その地域に最もふさわしい「特区」を描いてみることは地域の独自性確立への良いきっかけになるだろう。

私にも一つ提案したい特区構想がある。それは「官民人材流通促進特区」、ちょっと長いので通称「公務員特区」とでもしよう。

それは地方公務員法にある兼業に関する規制を大幅に見直すもので、県市町村の職員の中に”二分の一”公務員と”十分の一”公務員をつくる。例えば”二分の一”公務員は、週の半分を公務員として仕事をこなし、残りの時間でベンチャーを興したり、企業で仕事をしたりと民間のビジネスなどに振り向ける。

受・発注などに伴う利害関係に一定のルールを設けることは必要だろうが、人材流通は官民双方の活力につながるだろう。商工関係の部局や経済局などはベンチャーでの成功が出世の条件になるかもしれない。

さらに、”十分の一”公務員は、世界中からその地域が必要とする卓越した才能とノウハウをもった人々になってもらう。そうすれば、審議会などの委員になるよりもずっと愛着と責任をもって地域のために働いてくれるだろう。その結果、公務員の数は二倍になるかもしれないが、一人当たりの人件費削減が期待され、全体としては、財政再建とワークシェアリングが達成できるかもしれない。

最後に詩人・石原吉郎氏の言葉を紹介したい。

「ひざを組み替えるだけで変わる思考がある。それを知るために生きてきたのではなかったのか、私たちは」

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 『北海道と青森の連携』各分野で高い相乗効果
 
『河北新報社』平成14年(2002年)4月24日

北海道と青森県の合併−。こんな考え方が、青森県の市民の間でにわかに盛り上がり始めてきた。市町村合併については、ここ三、四年が勝負どころと見られているが、県レベルの合併、いわゆる道州制の議論はまだ緒に就いた程度だろう。

これまでの常識的な考えでは、北海道と東北地方がそれぞれ「道」と「州」へ移行することを前提にしていた。しかし、両者の地域振興に関する委員会の委員を務め、それぞれのビジョンを作っているうちに、あることに気が付いた。

それは、北海道と青森県の今後の地域戦略ビジョンが非常に近く、それを達成させるために北海道に足りない要素が青森にあり、青森に足りない要素は北海道にある。すなわち、両者が組めば一プラス一が四にも五にもなるような大きな可能性があるのだ。

その一つが「世界へ発信できるような総合的なエネルギー技術・産業の集積の可能性」である。

究極のクリーンエネルギーである「燃料電池」が数年後に本格的に実用化されるのを前に、水素エネルギー社会をどのように構築したらいいのかは、世界的な大命題ともなっている。

その水素源として本命視されているのが天然ガス、すなわちメタンであるが、北海道と青森が手を握れば、このメタンを安価かつ大量に活用できる可能性が出てくるのだ。

北海道では既に勇払ガス田が開発され、青森では八戸沖でガス田が見つかっている。これに加え、それぞれの近海の海底には膨大なメタンがシャーベット状になって眠っている。

もう一方の重要なメタン源である牛馬などのふん尿の畜産廃棄物も加えると、国産のメタン産出量は日本随一となり、さらにバイオマス(生物エネルギー)技術メッカへの道も開かれる。

北海道・青森は、ロシア・サハリンからの天然ガスのパイプラインの入り口になることなども考慮すると、天然ガス(メタン)高度活用型のコンビナート基地としても最適地となろう。

こうした環境を生かして、この地域で「水素ステーション」が建築可能となるように水素関連の法規制を緩和したり、燃料電池の最適運用を可能にするために送電線を開放したりすることなどを全国に先駆けて実施すれば、世界中のエネルギービジネスを目指す企業がこの地域への投資を促進させ、地域内の企業や住民の光熱費が安くなるという、二重のメリットを享受できるようになろう。

二つ目は、高付加価値型食糧基地の可能性である。ご存知のように、北海道は国内随一の食糧基地だが、素材供給だけではなく付加価値を高めるためのさまざまな研究開発にも、積極的に取り組んでいる。また青森の場合には、特産のリンゴ、ニンニク、ホタテ、長芋、牛肉などがいずれも国内際高級品で、高い付加価値が備わっている。

食べ物以外の青森ヒバなども高付加価値の資源だ。北海道と青森が手を組めば、量・質とも日本随一の高付加価値型第一次産業のモデルを構築していくことも可能だろう。

三つ目は、観光における相乗効果だ。

あるアンケートによると、東京の人々が国内観光したい場所のナンバーワンは北海道だという。一方の青森は下位に甘んじている。しかし、誤解を恐れずに言えば、北海道は若干イメージ先行なのに対し、青森には「日本一の桜(弘前城)」「日本一の紅葉(十和田湖・奥入瀬」「日本一の祭(ねぶた)」と多くの人が認める日本一の観光資源が数多くあるにもかかわらず、過小評価されているように思う。

北海道と青森が観光で連携し、新しいサービスを開発しながら両者の弱点である宿などのサービスの問題を徹底的に改善していけば、最強のコンビといえる。

それ以外にも、北海道・青森合併のメリットは枚挙にいとまがない。

青森が北海道と合併した場合、岩手、秋田両県は仙台市を中心とした東北州に残るのか、それとも北海道・青森連合につくのか。いずれにせよ、宮城県や仙台市には、それらに立ち向かうための地域戦略が求められることになるだろう。

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 『生命地域主義』地場産品に付加価値を
 
『河北新報社』平成14年(2002年)3月19日

あるニューヨークのビジネスマンに聞いた。

「あなたが使っている電気はどこから来るのですか?」。すると彼は「それはスイッチからさ」と答えた。

次に「あなたが食べている果物はどこから来るのですか?」と聞くと、「スーパーマーケットからさ」と答えた。

「それではあなたの捨てたごみはどこへ行くのですか」と聞くと、「それはごみ箱さ」と答えた。

この問いに正しく答えられることこそが環境問題解決の第一歩である−。

これはバイオリージョン(生命地域主義)という言葉を生み出したプラネットドラム財団理事のピーターバーグ氏が、いつも話すエピソードである。

生命地域主義とは、地域で生産されたものを地域で消費する、いわゆる地産地消と類似した考え方ではあるが、それに加えて地域に愛着のある人々が地域の資源に最大限の付加価値を与えることによって、環境を守りながら地域も経済的に自立を目指していくという概念も含まれる。

少し難しいので事例を紹介しよう。生命地域主義を語るときによく引き合い出される企業として、北海道の住宅メーカー「木の城たいせつ社」がある。

同社は北海道産の木材、土、石といった地域資源でほとんどが造られる住宅を年間五百棟以上、道内に限って供給している。日本の木材の自給率は約20%に落ちこみ、そのために日本の森林は放置され、荒廃してきている状況で国産材の活用は至上命題となっているが、それと経済性との両立を成功させたのだ。

同社は構造材のみならず、造作材や建具、家具まで住宅のほとんどすべてを道内産素材を使って自社で生産している。しかも、素材加工から木材乾燥、建材の加工、施工まですべての過程を一貫して行う。

注目されるのは、使用される木材の歩留まりの良さだ。普通は捨ててしまうか、ただ同然のパルプ材になるしかなかった小さな木片や、一般では活用法のない小径木、間伐材を、集成加工し、はりやベニヤ代替板、手すり、いすや机などに生まれ変わらせている。

それでも残ってしまうようなおがくずは木材乾燥用ボイラーの燃料として使われ、そのボイラー廃熱は暖房や給湯に使う。加えて、道産材から接着剤や塗料の開発、おがくずから断熱材の開発も行うという生命地域主義への徹底ぶりだ。

 「青森でこそ本物の大間の本マグロにこだわったおいしい料理を」。そんな思いから、北海道の函館で長年地域の素材にこだわる料理人として知られた高野哲郎さんが、最近、青森市内に料理店を開いた。

大間の本マグロと青森県産長芋のカルパッチョ、大間マグロのネギトロサラダ、田子みそニンニクガーリックトースト…。高野さんの店では、青森県大間町に水揚げされたマグロを中心に県内産食材にこだわったフルコースの創作料理を食べることができる。近々、仙台のあるレストランでも、アンテナショップ的にこれらのメニューを出して青森県内産食材をPRするそうだ。

私も青森に来て三年になるが、県外からの客を連れていける、県内産の食材にこだわっておいしい料理を食べさせようとしている料理店が少ないと感じていた。ある温泉旅館に泊まったときも、夕食には、ウナギや輸入シシャモ、エビのてんぷらなど、県内産の食材はほとんどなかった。

大間の高級本マグロは、テレビなどで取り上げられて全国的に有名になったが、大半は東京の有名すし店などへ行ってしまうため、県内ではなかなか食べることができなかった。今後の地域の経済的自立を考えると、素材だけを東京に出すのではなく、地域で高い付加価値を与え、最終的に消費者に届くまで面倒を見る「木の城たいせつ型」のビジネスへの転換こそが、まず望まれるだろう。

「青森県産の食材は、マグロにしろニンニクにしろ最高級品。それを県外に出さずにその良さを最大限に引き出して東京にない料理を出せば、東京の人だってそれを食べるためにわざわざ青森へ足を運んできてくれるはずです」

高野さんは力を込めた。

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 『マンションの断熱材』外断熱化への転換急げ  
 
『河北新報社』平成14年(2002年)2月22日

 「日本のマンションは、スウェーデンでは憲法違反です」

こんな衝撃的な話を聞いたのは、三年前に建築物の省エネルギーに関する調査のためにスウェーデンに行ったときのこと。建築物理学の第一人者であるルンド大学のアーネ・エルムロート教授が、日本のマンションのほとんどがコンクリート駆体(建物の基礎である柱、壁など)の内側にウレタンなどの断熱材を吹き付ける内断熱工法であることを指して語ったものである。

日本とは対照的に、スウェーデンやドイツなどの欧米の環境先進国では、一九七〇年台のオイルショック以降、新築のコンクリート建築物で内断熱は全く見当たらない。コンクリート駆体の外側をすっぽりと断熱材で覆ってしまう外断熱が一般的なのだ。

それはなぜか。スウェーデンやドイツでは、オイルショックを受けて省エネルギー建築物について国を挙げて審議した結果、以下に挙げる三つの重大な内断熱の問題点が明らかになったからである。

一つは、構造上断熱材が途切れてしまう部分が多くできるため、エネルギーを浪費すること(外断熱に比べ15−35%程度)。二つ目は、駆体が外気温に左右されるため膨張収縮を繰り返し、ひびが入りやすくなり建築物の寿命を著しく短くすること(外断熱に比べ五分の一−三分の一)。そして三つ目は、冬に壁や床などに温度の低い部分ができるため結露しやすく、アレルギーなどの原因でもあるダニ、カビが繁殖しやすくなることだ。

外断熱が当たり前となったスウェーデンの憲法第二条には、行政が果たすべき義務の中に「よい住環境」と明記されており、これが、冒頭の言葉につながったのである。

それなのに、なぜ日本では内断熱のコンクリート建築物が一般的なのか、不思議に思われる方もいらっしゃるだろう。確かに日本でも一部の研究者らからは、外断熱の有効性が指摘されてはいた。しかし、当時はまだ環境や健康を配慮した建築物への意識が低かったのに加え、外断熱は内断熱よりもコストが高かった。

加えて地震国の日本では、耐震性を強化するために駆体と断熱材の間に金具を入れる必要があり、それがコストを押し上げることになったため、供給側もおのずと内断熱へと傾斜していった。加えて消費者側も、目に見えない断熱工法よりは、目には見えるエントランスなどにお金をかけた方を好んで選択してきた。

「悪いと思ったらすぐに改めなさい」

私が子供のころ、母が口ぐせのように言っていた。

一昨年、国会でもようやくこの内断熱・外断熱問題に関する質問が出され、首相答弁書の中ではっきりと環境や省エネルギーなどの面から外断熱の有効性が示された。一方、青森県では去年、地球温暖化防止対策の目玉の一つとして、この断熱の問題を位置づけ、公共建築物の外断熱化について見当が始められた。

地球温暖化、建築廃棄物、住宅建材などに含まれる化学物質が体調不良などを引き起こすシックハウス症候群への対応は待ったなしであるが、外断熱がこうした問題への明確な回答であることが分かった今こそ、マンションなどのコンクリート建築物を内断熱から外断熱へ大転換すべきときであろう。

だが残念ながら、いまだに業界や専門家の中には「リゾートマンションのような年間を通して利用しないような建築物では、外断熱の方がエネルギーの浪費になる」として、内断熱でも構わないと主張する人も多い。

こうした少数の例を盾に、生活者や子孫たちの健康や環境、そして財産を差し置いて、自分たちの目先の利益や立場を守ろうとするのはいかがなものか。内断熱による犠牲者は一体、だれなのか。その犠牲は本当に払うべきものなのか。一度、問い直してほしい。

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 『燃料電池の未来』エネルギー自給に光明 
 
『河北新報社』平成14年(2002年)1月22日

「この車に使われている技術は、きっと二十一世紀に起こる産業革命の核になりますよ」

これは、七年前に取材で訪れたドイツのメルセデス・ベンツ本社(現在のダイムラークライスラー社)で、当時のベルナー社長が最初に語った言葉である。

この技術とは、今や数年後の商品化へ向けて世界の主要企業が開発競争を繰り広げている、燃料電池のことだ。

小泉首相が去年十二月、開発中の燃料電池自動車に試乗して「これは究極の車だね。後はコストの問題だけだろう。閣僚はみんなこれに乗らなきゃ」と言った話は記憶に新しいが、私が七年前に世界初の燃料電池試作車に乗ったときは、後部座席が燃料電池で埋め尽くされ、果たして二十一世紀中に実用化されるのかと思ったものだ。

しかし、この七年間の技術発展によって、新たな産業革命、そしてエネルギー革命をも引き起こす可能性が出てきた。

燃料電池とは、水素を燃やさずに空気中の酸素と化学反応させて電気と水をつくる、水の電気分解と逆の過程で発電させる装置のことだ。燃料電池そのものからは地球温暖化の元凶である二酸化炭素も大気汚染の元凶である窒素酸化物や硫黄酸化物も一切排出しないため、究極のクリーンエネルギーとも呼ばれている。

燃料の水素は天然ガスや石油といった従来の化石燃料、アルコール燃料、バイオマス資源、有機性廃棄物、光触媒による水の分解などさまざまなものから取り出すことが可能なため、地球に無限に存在すると言ってよい。従って燃料電池は、日本でエネルギー自給への道筋をも開く可能性がある。

しかし、なぜ今これほどまでに燃料電池が注目されるに至ったのか。それは、同じ発電量で比較すると、太陽光発電の十分の一の容積で済むため、量産化によるコスト削減への期待が大きいためだ。

火力発電など既存の発電施設は、キロワット当たり約二十万円の建設コストがかかるが、自動車メーカーが想定している燃料電池の目標価格はキロワット当たり一万円以下である。二〇二〇年には燃料電池のマーケットが国内で数十兆円、世界では数百兆円になると試算されており、現在大きな経済波及効果が期待できる数少ない技術である。

自動車のエンジンが燃料電池に取って代わり、一家に一台燃料電池が導入されて各家庭の電気と熱を賄うようになり、充電なしに三十日間連続して使える携帯電話が当たり前になる。燃料電池がわれわれの周りのあらゆるものに入ってくる時代が来るのは、そう遠くないかもしれない。

ねぶたを燃料電池で−。こうした動きが、青森県内の市民らの間で起こり始めている。これまで、ねぶたには重油ディーゼルエンジンが使われ、ねぶた一基で重量が約 1t にも達し、その排ガスも課題だった。

だが、これを燃料電池に替えれば重さは三分の一になり、排ガスも一切出ない。軽くなった分、ねぶたづくりの自由度も増すという。

青森県といえば「原子力」のイメージが強いが、こうした市民レベルの動きに加えて、県も燃料電池を核とした水素エネルギー先進実証地域構想に着手し始めた。

燃料電池の普及には、エネルギーに関する規制の改革や業界再編も必要となるため、他分野の構造改革同様、抵抗勢力が存在する。しかし、この改革を断行しないと、せっかく経済と環境を両立させる燃料電池が技術的に完成しても、社会への浸透が大幅に遅れてしまいかねない。

従来型大規模施設を誘致する側として抵抗勢力の一翼となることが多かった青森県が、マイクロパワーである燃料電池で地域振興を図ろうという試みは大変興味深い。業界関係者ならずとも、目が離せない。

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